私はいわゆる国語力に苦手意識があります。どうも「いい」表現ができる自信がありません。
語彙力もないし、正確に伝えられないこともしばしば。恥ずかしながら本を読んで来ませんでした。本を読み始めたのはここ10年くらいの話です。
しかし、こうやって記事を書いて発信をしています。
「いい」表現はできなくとも、「好ましくない」表現は避けるように気をつけています。
専門家としての自覚
とある動物行動学の獣医師(様々な記事の執筆を行っている方)の取材(?)記事で犬の「痴呆」という言葉が使われていました。
その獣医師が使ったのか、記事を書いた記者が使ったのかはわかりませんが、「痴呆」は好ましくない表現として現在は「認知症」が使われるようになっています。
認知症と密接に関係する行動学の獣医師も、言葉を届ける記者もその道の専門家だと考えています。15年以上も前に好ましくないとされた言葉をその分野の専門家が使うのは、避けるべきです。
一般の人がそうとは知らずに、世間的に浸透している言葉を使ってしまうことは仕方がないことかもしれません。知ってはいても、何気ない会話で、こっちのほうが通じるからという理由で使ってしまう場面もあるでしょう。
例えば動物病院の一コマで、「昨日から左足がびっこで」なんて言うこともあると思います。専門的には「跛行(はこう)」というのですが、飼い主さんにそう言ってもわかりにくいので、あえて合わせて「びっこ」を使うことがあるかもしれません。「足を引きずっている」などの表現なら、伝わりやすく差別用語にもならないかな?と考えてみたり。
このように閉鎖的な会話で仕方なく使用する場合はあると思いますが(良いとは言いません)、専門家として公に文字を出す際には気をつけたいものです。
明確な正解がない言葉
行政機関において、「障がい」という「害」の字をひらがなに変えた表現が使われているケースが目に付きます。
しかし、障害者団体や障害者自信から肯定意見も否定意見もあります。
「害」は「公害」、「害悪」、「害虫」の「害」であり、当事者の存在を害
「障害」の表記に関する検討結果について
であるとする社会の価値観を助長してきた。
障害者の社会参加の制限や制約の原因が、個人の属性としての「Impairment(身体の機能不全)」にあるのではなく、「Impairment」と社会との相互作用によって生じるものであることを示している。
「障害」の表記に関する検討結果について
したがって、障害者自身は、「差し障り」や「害悪」をもたらす存在ではなく、社会にある多くの障害物や障壁こそが「障害者」をつくりだしてきた。このように社会に存在する障害物や障壁を改善又は解消することが必要である。
このように絶対的な正解はない言葉もあると思います。
しかし、あえてのひらがな表記に気づき、その背景を知ることが大切なのは間違いありません。
人の医療・福祉に倣う
人の分野では人権の尊重から、言葉の使い方の検討が常にされています。
動物福祉が人福祉と同様に考慮されるべきであるなら、動物業界のの人間であっても人の医療・福祉分野における言葉の使い方には注視すべきです。
国語的に素晴らしい文章はかけなくても、適切な表現をする努力は続けたいですね。
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