無償ボランティアを期待する理由

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Twitterで宮島の鹿を助けてくださいという発信がトレンド入りするほど話題となりました。

(宮島の鹿については、その立ち位置がたびたび話題になりますが、今回は触れません。)

概要としては、命の危険に晒されている鹿を放っておくことができなかった人が助けを求めたが、行政は動かない、ボランティアでかけつけてくれるという獣医師もいないことへの不満をツイートしたようです。

これに対して意見は二分していました。

「なぜ行政や獣医さんは動かないの?」「かわいそうだと思わないの?」という意見

「なぜ行政が動くと思うの?」「なぜ無償で診なきゃいけないの?」という意見

実はこの構造は今回に限ったことではないです。

野良猫問題でもよく目にする構造です。

「野良猫だから安くしろ」「地域猫だから行政が助成しろ」

一見違うように見えますが、同様の構造は動物業界以外でもあります。

「これ原価〇〇円くらいでしょ?だから〇〇円で売ってよ」

これもよくみるやつですね。安く、原価で、無償で、ボランティアで。

今回、なぜこういうことを言う人がいるのかを考えてみました。

仕事をしたことがないから

結論からいうと、こういう意見をするひとは仕事をしたことがないからだと思います。

無職という意味ではありません。

自分の労働の価値、もっといえば自分の労働に対してお金を払ってくれる人のことを考えていないということです。

スーパーのレジうちの価値

最近はセルフレジも多くなってきて、将来なくなる仕事とも言われてそうですが、私はほぼ有人レジに並びます。

「いらっしゃいませ」→バーコードを読み取り→清算済みカゴに移し→会計をする

確かにこの作業は買い物する本人と機械があればできます。レジ打ちの人は不要かもしれません。

しかし、気持ちのいい挨拶をしてくれることと、清算済みのカゴにきれいに商品を並べてくれることは有人レジにしかできません。場合によっては自分でやるより早いことも少なくありません。

その中でも特に、きれいにカゴに並べてくれることに価値を感じるから、私は有人レジに並びます。

だって、自分で買い物しながらカゴにいれた会計前の商品たちはなんだかうまく収まってないし、セルフレジで会計して自分で袋詰めしてもまた同じような感じになりませんか?

でもカゴ詰め上手のレジのお姉さんを通した清算済みの商品を見て、そっくりそのまま参考にすれば買い物袋に自分で入れるとしてもうまくいくんですよ。

これは価値のある技術だと思います。

気持ちのいい挨拶にも価値があります。いつもレジの〇〇さんと話をしながらレジを通すのが日課になっているおばあちゃんだっているでしょう。

仕事としての意識

ところが、自分の仕事の価値を考えて働いていない人がレジに立っていると、気持ちのいい挨拶もしないし、カゴへの詰め方が下手だったりして、その価値を生むことができない。

会社に言われたからレジ打ちをやっている。それで給与をもらう。

それしか考えていない人は、自分の労働になぜ給与を払ってもらってるか意識していないし、付加価値をつけるような工夫も見られない。

当然、人の仕事に価値を感じることもできないと思います。

人の仕事の価値がわからないから、無償で依頼するのです。

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