和歌山市が、数年間継続してきた犬の殺処分ゼロを断念し、2025年度は4匹の殺処分を行ったというニュースが流れてきました。
近年、「殺処分ゼロ達成」という報道はぼちぼち聞こえてくるようになりました。そんな中で今回のニュースは、その一歩先を行く内容です。「ゼロを継続しない」という決断をどう受け止めるべきでしょうか。
まず、和歌山市の職員さんたちを称えたい
率直に言います。今回の和歌山市の判断は、勇気ある決断だったと思います。
「ゼロだったのに、なぜ殺すのか」という批判が出ることは、決断する前から容易に予測できたはずです。それでも公表に踏み切ったということは、数字ではなく命と向き合う覚悟を示したものだと感じます。
「殺処分ゼロ」の歪み
殺処分ゼロという言葉の響きはいい。最終的な目標として目指すべきものであることも確かです。しかし、今この段階でそれを絶対目標にしてしまうと、さまざまな歪みが生じます。
現場のキャパシティは飽和しています。愛護センターの収容スペースには限界があり、センターから動物を引き出してくれる保護団体のキャパも限界に近い状態です。そのいっぱいいっぱいの状態で、さらに過密収容を続けることは動物福祉の観点からリスクを高めます。
また、攻撃性が非常に高い個体に対して「無理に譲渡する」「ずっとセンターに留め置く」という選択が、本当にその動物にとって幸せかどうか。特定の飼い主に愛されながら最期を迎えることが難しい個体に対しては、安楽死が最善の判断になることもあるのが現実です。
職員さんたちの精神的負担
「殺処分ゼロを維持しなければならない」というプレッシャーは、現場職員にとって相当なものです。
攻撃性の強い犬が持ち込まれても、老齢で苦しんでいる動物が運ばれてきても、「それでも生かさなければ」という呪縛の中で判断を下し続ける。その精神的負荷はあまりにも大きい。このままでいい状況ではありません。
岐阜市の「ゼロ達成」も、素直に喜べない理由
一方、岐阜市では昨年度、犬も猫も殺処分ゼロを達成したというニュースも入ってきました。岐阜市は「人と動物の共生センター」など民間団体との連携が充実しており、環境的に恵まれているのは確かです。
ただ、「保護しなければならない動物が減ったのか」といえば、そうではないでしょう。民間の保護団体が少し無理をして頑張っている姿が容易に想像できます。殺処分ゼロの達成を現実を知っている人たちが素直に喜べないのは、そういう理由があるからです。
早期介入が「保護数」を増やす逆説
私自身、福祉現場での早期介入活動を続けています。ところが、活動すればするほど、保護が必要な動物を掘り起こすことになります。つまり、センターへの収容数が増えるのです。(この逆説についてはこちらの記事でも詳しく解説しています。)
これは行政の立場からすると「また持ち込みが増える」と煙たがられることもあります。しかし、行政は最後のセーフティネットであるべきです。「引き取れない」と拒否することは、本来の行政の役割を放棄することに他なりません。
殺処分ゼロという数字を絶対目標にした職員が、収容を拒むという本末転倒な状況——これが、現段階で「ゼロ」をゴールにすることの危うさです。
「ゼロ」はゴールではなく、通過点
殺処分ゼロはゴールではありません。今の段階では、ゴールにすべきでもない。
本当に目指すべきは、野良犬・野良猫の発生源を断つこと(蛇口を締めること)、そして福祉の向上と民間・行政の連携による地道な取り組みです。
和歌山市は「殺処分ゼロ」の先に進んだと言えます。「ゼロを守る」ことではなく、「根本的な問題を解決する」方向に舵を切ったのだとすれば、それはむしろ前進です。
他の自治体も、数字に縛られず、命と真剣に向き合う姿勢を持ち続けてほしいと願っています。
動物の福祉現場での問題に関するご相談は、お早めにご連絡ください。






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