「最期は自分の愛するペットを愛でながら死んでいきたい」
こんな願いを聞いて、みなさんはどう思いますか?
「終生飼養できていない身勝手な行為」だと思いますか?
それとも、「気持ちはわかる。私もそうしたい」と思いますか?
はたまたそのどちらの気持ちもお持ちですか?
どちらの想いもあっていいと思います。今日はそんなモフりながら死にたいという希望に対する考え方の話。
ちょっと未来の、でも実現可能なこれからのペット問題について。
終生飼養義務
モフりながら死ぬという結論だけ見ると、そのペットの終生飼養はしないということです。できないということになります。
飼い主の方が先に死んでしまう、ペットを残して逝ってしまうということになりますので、ただの人間のわがままでよろしくないよねという話にはなりますし、それはもちろんごもっともです。
最初から、終生飼養ができないとわかりきっているような飼い方、例えば80歳の方が子犬飼うみたいな例はよくないです。私も絶対に止めます。
ただ、モフりながら死にたいという願いを持つことがそんなに悪いことかと言われると、僕は悪いことではないと思います。むしろ応援したいです。
だって最高じゃないですか。自分の愛するワンちゃんなり猫ちゃんなり、鳥かもしれないですが、最後まで愛でながら、自分は幸せだったなと思いながら死んでいくっていうのは、その人によって最高の人生の終わり方だと思います。
なので、これを応援してあげたい。
願いをかなえる方法
では、どうすればできるのか?
その子の行き先を信頼できる人、そしてその子が心を許す人に引き取ってもらう約束をしておけば夢を叶えることができるはずです。
終活です。その願いを叶える準備をしましょうということです。
これは何も新しい発想ではなく、ずっと大切なことだと言われていますよね。
もし自分に何かあった時の譲渡先を決めておき、それをエンディングノートに記載したり、もしくはペット緊急連絡カードを作っておいたり。
これがかなり難しいことだというのは、この記事を読んでくれている方には想像できると思います。
遠くの親戚より近くの他人
自分の飼ってるペットを、その子のことをよく知っている人に引き取ってもらって約束するっていうのは難しいですが、そういう体制を地域で作っていけるのが理想です。
個人で終生飼養ではなく、地域で終生飼養です。
たまたまいた疎遠の兄弟や甥っ子等より、近所に住んでいる仲良し住民のほうが新たな飼い主として適しています。
遠くの親戚より近くの他人ということです。
これまで、有事の際の引取り先は飼い主と個人的な関係がある方に限られてきました。
しかし、今の時代ということもありますし、あまり適正飼養できでいない方の「孤立」率はかなり高く、信頼できる個人的な関係を持たない方が多いです。
結果的に有事の際の動物の行先に困ってしまうのはよくあるパターンです。
地域で終生飼養を叶えるには、ここの家はペットを飼っているということが地域に知られていることが最初の一歩。
そのために、飼い主自身が「私はペットを飼っています」と声をあげてく必要があります。
声をあげるハードル
なぜペットを飼っていることを主張しないのか?主張して近所の人に知られていれば、終活もできるのではないか?と思いますよね。
声を挙げられない理由は、ペットを飼っていることに後ろめたさを感じているからです。
うしろめたさを感じている理由は、孤立、生活保護受給者、不適正飼養の意識がある、終生飼養ができないことを理解している等です。
動物を愛する人からすれば、ひどい飼い方を責めたくなるような状況かもしれません。しかし、飼い主を責めるのは一旦我慢して、終活に導いてあげると、最終的に人も動物も幸せになると信じています。
「なんでもっと早く相談してくれなかったの?!」と思うことありますよね。
その理由は、責められると思っているからです。
不適正飼養を責めるのは簡単です。でもそこを一旦ぐっと我慢して受け入れ、そうなってしまった背景を理解して、正しい方向に導ける人だけが、不適正飼養を減らし、動物を幸せにできると私は思います。
まとめ
「ペット飼ってます。もし何かあった場合はどうしたらいいですかね?」
「じゃあこうしましょう。そのために、まずはこれをやろう」
このような提案や相談できる体制をその地域で構築していくこと。これが地域で終生飼養です。
私自身も福祉現場に相談で入った場合、このように提案できるように意識しています。まずは、相談してよかったと飼い主に思ってもらい、相談しやすい環境をつくります。
なかなか難しいことですが、地域終生飼養は何年かかけて浸透していく言葉になるんじゃないかなと思っています。結構ふわっとした話ですし、最初に言ったようにペットより自分が先に死にたいという意味なので、あまりよろしくないっていう気持ちはわかります。
ただその先を見ると、モフりながら死にたいというのも、叶えてあげられるような地域づくりはやっていくべきかな、できると最高だなと思っています。
今日は、難しいけど実現可能と信じている、少しふわっとした話でした。そんなの無理という声もあると思います。
ふわっとしたと言いつつ、その実現のために日夜動いているのですけどね。
今のペット業界だと、モフりながら死にたいと言えない雰囲気があると思います。でもそれを言えるような優しい業界にしたいなという、独り言でした。
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