地域猫活動に「地域の合意」は必要か——言葉のニュアンスに隠れた本質

地域猫活動をめぐって、いま静かに議論を呼んでいるテーマがあります。それは「地域猫活動に、地域の合意は必須なのか」という問いです。

きっかけは、元・新宿区保健所職員の石森さんがX(旧Twitter)に投稿した内容でした。「地域猫活動に地域の合意は必須ではありません。合意が必須と言っている有識者は、今では誰もいません」。

一見すると「合意はいらない」と読めるこの発言。しかし、丁寧に読み解いていくと、実はまったく逆の結論にたどり着きます。今回は、この問題を私なりに整理してみたいと思います。

「合意は不要」の投稿を、最後まで読んでみると

石森さんの投稿には、考え方を詳しく説明したリンク先も添えられています。そこを読み進めていくと、こう書かれているのです。

「合意は必須ではありません。ただし、地域住民の十分な理解は必要です」

ここがポイントです。「合意は不要」とだけ切り取ると誤解を招きますが、「十分な理解は必要」という条件は、しっかりと残されているのです。

では、この「十分な理解」とは何を指すのでしょうか。私はこう考えます。十分な理解を得るということは、結局のところ「合意を得る」ことと同じではないか、と。

「十分な理解は得られましたが、合意は得られませんでした」——こんな状況は、そもそも成り立ちません。理解してもらえたのに反対されている、という状態は、本当の意味で理解を得られたとは言えないからです。

国のガイドラインにも「合意」という言葉はない

石森さんがこう主張する背景には、国のガイドラインの記述の変化があります。

住宅密集地にお ける犬猫の適正飼養ガイドライン(2010年)
動物の愛護 及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的な指針(2013年)
家庭動物等の飼養及び保管に関する基準(2013年)

環境省の告示や、動物愛護管理の基本指針では、飼い主のいない猫を管理する地域猫対策について、こう書かれています。「地域住民の十分な理解のもとに、給餌・給水、排泄物の適正な処理等を行い、周辺の生活環境に配慮した管理を実施するよう努めること」。

確かに、どちらの告示にも「合意」という文言はありません。代わりに使われているのが「地域住民の十分な理解のもとに」という表現です。

なぜ国は「合意」と書かなかったのか。もし「自治会長の合意を得た上で」と明記してしまうと、区長や自治会長の判断ひとつで、活動をやるかやらないかが決まってしまうからです。それでは表現が硬く、そして重くなりすぎて、丁寧な個別訪問で理解を広げてきた現場の実態に合わなくなってしまう。だからこそ、あえて柔らかい表現になっているのだと思います。

「勝手にやっていい」ではない——成功事例が証明していること

ここで注意したいのは、石森さん自身も「勝手にやっていい活動だ」とは一言も言っていないという点です。あくまでニュアンスの問題なのですが、結論を切り取られて「合意はいらない、だから好き勝手やっていいんだ」と勘違いされると、非常に困ってしまいます。

実は、この矛盾は成功事例そのものが証明しています。「合意がなくてもうまくいった」と紹介される事例の中身を、石森さんの文章も含めてよく読むと、こう書かれているのです。

「個別訪問をして、住民一人ひとりに説明し、納得してもらい、なんなら協力を得ながらやっている」

これはまさに、実質的に合意を得ているということではないでしょうか。きっちりとした自治会を開いて、会議で自治会長の許可をもらう——そこまでの形式は必須ではないかもしれません。でも、隣近所を回って理解と協力を得ているなら、それはもう立派な「合意」なのです。

合意を取らずに進める地域猫活動は、もはや「地域の活動」ではありません。それはただ、猫好きが勝手にやっている活動になってしまいます。だからこそ私は、誤解する人が出ないように、あえて「合意は必要です」とはっきり主張します。

問題は「何を言ったか」ではなく「どこで言ったか」

そもそも石森さんの投稿の目的は、自治会の会議などで「合意を得ること」を必須の条件にしている自治体に対する啓発だったように思います。「合意を必須にしなくても地域猫活動は成り立つ」と伝えたかったのでしょう。

仮にこの発信の是非を「読み手」で考えるなら、対象が自治体職員だけの場であれば正しい提言たりえたかもしれません。しかし、多くの一般市民が目にするXで発信してしまったことに、私は問題があったと思うのです。

なぜなら、私を含め多くの人が危惧しているのはまさにこの点だからです。「石森さんが『合意はいらない』と言っていた」という発言の端っこだけを切り取り、都合よく解釈する人が出てくる。そして、その解釈を根拠に、自称「地域猫活動」を各地で推進してしまう流れにつながりかねないのです。

正しく聞こえる提言も、届ける相手と場所を間違えると、意図しない誤読を生んでしまう。今回の一件は、そのことを改めて考えさせられる出来事でした。

100%の賛成はいらない、でも「地域みんなで」が大前提

もちろん、地域住民の100%が賛成である必要はありません。どんな活動にも反対する人、理解できない人は一定数います。それは町の清掃活動でも、お祭りでも、何でも同じです。

大切なのは、地域の大部分の人が「この活動はいいね」「こういうやり方で進めていこう」と有志で合意して取り組むこと。これこそが、地域活動を長く続けていくうえで何より重要なポイントだと思います。これは地域猫に限った話ではありません。

逆に言えば、「区長が許可していないからダメだ」というような、まるでヤクザのような話でもない。かといって、みんなの理解を得ずに勝手にやっていいものでもない。その両極の間にある「地域みんなの理解」こそが本質なのです。

結局、石森さんも私も、言っていることは同じなのだと思います。表現は正反対に見えて、たどり着く結論は「みんなの理解を得なければいけない」で一致しているのです。

自治体がハードルを設ける自由

もう一つ触れておきたいのが、行政の視点です。

「地域猫の発案者」と言われる黒澤先生の「元々はもっと緩やかな活動だった。」という発言を持ち出して、山形先生のように厳しくやるのが全てではないと市役所職員に言われたことがあります。確かに、始まりは緩やかなものだったでしょう。まさに地域の活動なので。

でも、その緩やかな活動がうまくいったのはなぜか。それは結局、地域住民がよく話し合い、地域一丸となって取り組んだからです。「そんなものは必要ない」と開き直った人に、緩さだけを都合よく真似されては困ります。

更に、ここに市民の血税が絡むと話は変わります。自治体が不妊去勢手術の費用を助成するとなれば、それは「猫が好きな人が勝手にやっている、成果が出るかどうかもギャンブルのような活動」に税金をつぎ込むわけにはいきません。

だから、予算を出す条件として自治体が「地域の合意」「自治会での合意」を求めるのは、市町村の判断として尊重すべきだと私は考えます。勝手にTNR活動をやること自体を禁止しているわけではないのです。「ここまでやってくれれば助成します、それ以外は各自でどうぞ」という線引きは、外部の人間が文句を言うものではありません。

まとめ

「合意は必須ではない」と「合意は必要だ」。一見すると対立しているこの二つの主張は、突き詰めれば同じ場所を指しています。大切なのは言葉尻ではなく、地域の人たちの理解と協力を得ながら、責任を持って活動を続けていくこと

地域猫活動に関わる方、これから始めたい方は、ぜひ一度「自分の活動は、地域の理解を得られているだろうか」と振り返ってみてください。その一歩が、活動を長く続ける土台になります。当院でも、ペットと人の福祉をつなぐ発信を続けています。

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