安楽死、殺処分、と畜―動物の致死処置に正解はあるのか

「動物を殺してはいけない。」

多くの人がそう思うはずです。

しかし私たちは日常の中で、さまざまな形で動物の死に関わっています。

食べるために家畜
研究のための実験動物
被害対策として捕殺される野生動物
保健所での殺処分
そして、ペットの安楽死

どれも動物の命を終わらせる行為です。

しかし社会の中では、それぞれがまったく違う言葉で呼ばれ、違う倫理観で語られています。

では、動物の致死処置には「正解」があるのでしょうか。

先日、成城大学で開催された「動物の命を考える研究会」のシンポジウムに参加し、この問いについて考える機会がありました。

同じ「死」なのに言葉が違う

動物を死に至らせる行為には、様々な言葉があります。

安楽死
殺処分
防除
と畜

いずれも動物の命を終わらせる行為ですが、分野によって言葉も意味も大きく異なります。

そして、それぞれの現場には言葉にしづらい葛藤があります。

しかし現実には、こうした議論は分野ごとに分断されがちです。

獣医療、畜産、野生動物管理、実験動物、動物園・水族館。それぞれの分野の中では議論されていても、分野を越えた議論はほとんど行われていません。

この問題意識から、2019年に「動物の命を考える研究会」が発足したとのことです。

分野によって葛藤の形が違う

研究会では、さまざまな分野の専門家を対象に「動物の致死処置に関する意識調査」も行われています。

結果から見えてきたのは、分野ごとに葛藤の形が大きく異なるということでした。

小動物臨床では、ペットの終末期のQOLの著しい低下、飼い主の負担増大、そして苦痛からの解放のために安楽死をさせる方がいい状況があり得ます。言葉にするのは簡単ですが、飼い主は判断できない、家庭内でも意見が割れる、旧来のまま積極的な議論を避ける動物病院もあります。

逆に、飼い主の入院や死亡などの「有事」の際に、残されたペットをどうするのかという問題もあります。調査では、約半数の獣医師が「動物を引き取る制度が必要」と回答していました。

一方、公衆衛生分野では、保健所業務などに関わる獣医師から官民連携の必要性が強く示されました。

しかし現実には、動物愛護団体やボランティアが無償で多くを支えている構造もあり、制度的な課題が指摘されています。

野生動物分野では、捕殺に伴う心理的負担の大きさも示されました。興味深いことに、回答傾向には男女差も見られました。

家畜衛生の分野では、家畜の処分に関わる仕事について「重要だが心理的負担が大きい」と感じている人が多く、約4割が「しばしば葛藤を感じる」と回答していました。私たちの食を支える現場にも、大きな精神的負担が存在しています。

私たちは「仕切られた動物観」を持っている

今回の研究で提示された興味深い概念が「仕切られた動物観」です。

人は無意識のうちに

ペット
家畜
野生動物
実験動物

といったカテゴリーごとに、異なる倫理観を持っているのではないかという問いです。

犬や猫には強い共感を抱く一方で、家畜や実験動物については想像が及びにくい。

私の中で特に印象に残ったアンケート結果がありました。

一般市民に対して

「人が食べるために動物の命を絶つことを許容できますか?」

と尋ねたところ、
「許容できる」「ある程度許容できる」と回答した人は、合わせて約65%にのぼりました。

ところが、

「他の動物の餌、つまり飼料として利用する場合」

という問いになると、
許容できる・ある程度許容できるという回答は38.5%にとどまりました。

つまり、人が食べるために動物の命を利用することは一定程度受け入れられている一方で、
ペットフードの原料として利用される命については、許容できない、あるいはそもそも想像できていない可能性があるということです。

この結果は、私たちが無意識のうちに
「動物の利用の仕方」によって倫理観を分けていることを示しているのかもしれません。

こうした分断された動物観が存在するのではないか、という問題提起です。

そして興味深いことに、調査結果からは専門家であっても他分野の理解は十分ではないという現実も見えてきました。

正解は決められるのか

シンポジウムの最後のディスカッションで強調されていたのは、この問題には単一の正解があるわけではないという点でした。

人の価値観は多様であり、状況もまた多様です。

その中で一つの基準だけを押し付けることは、人の多様性そのものを否定することにもつながりかねません。

そこで示された考え方が「最大多数の最大幸福」です。

絶対的な正解を決めるのではなく、社会として納得できる落としどころを探していく。それが現実的なアプローチなのかもしれません。

曖昧さに耐えるということ

議論の中で紹介された言葉に「ネガティブ・ケイパビリティ」「曖昧性耐性」という概念があります。

これは、答えが出ない問題を抱えたまま考え続ける力を意味します。

動物の致死処置の問題は、白黒はっきりさせられるものではありません。

だからこそ、曖昧さを受け止めながら議論を続ける姿勢が必要なのだと思います。

私自身、「人福祉現場に獣医師を」というテーマで活動する中で、多頭飼育やペット問題の現場に関わることがあります。そこでも、動物の命をめぐる難しい判断に直面することは少なくありません。

今回のシンポジウムを通して改めて感じたのは、動物愛護を考えるときにはもっと多角的な視点が必要だということでした。(以前、『動物愛護に多角的視点を』というブログを書いていたことを思い出しました。)

感情だけでも、理屈だけでもなく、さまざまな立場や現実を踏まえながら議論していく。その積み重ねが、人と動物のよりよい関係につながるのではないでしょうか。

正解を求める必要はない。議論し続けることが何より大切なのだと、私の中で腑に落ちた素晴らしいシンポジウムでした。

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